カバラ数秘術のBlog3

数秘33の数秘術カウンセラーによるブログです。数秘術や宿曜の他、色々書いています。

誕生日が語るもの ー 生まれ持った運命はいつか変えることができる


こんにちは。

いつもご覧いただき、ありがとうございます!

さて、今日は前々回の投稿の続きです。

kabbalah-suuhi1358.hatenablog.com



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著名なヨガの行者、ヨガナンダさん。
若かりし頃、お師匠さんだったユクテスワ師からインドの占星術についてレクチャーされてらしたようです。



読み進めていくうちに、私、安堵しました。
と申しますのもユクテスワ師と同じ意見だったので。


それは、

誕生日(の霊性レベル)が、今生の(学びの)出発点である

というものでした。


ですので、肉体が死ぬまで、性格も宿運も、生まれた当時のまんまじゃない。
年齢がいくにつれ、人によって、別人のように変わっていたりするんですよ。



***



私たちは日々成長、変化してゆきます。

そして多くの場合年齢が行くにしたがって、出生時の命式に出ている「宿命的なマイナス要素(今生で取り組むことになりそうな試練、悩みの種、ハンディキャップ、短所やコンプレックス等)」は減ってなくなってゆくんです。

これは、そのかたの、奮闘や成長の証でもあります。



そのため、高齢者ほど、占いの性格や生涯の運勢(宿運)が外れるんです。
それは、そのかたが生まれた当時のデータをもとに作られた命式を見ているから。


一般に、年を取り、人間が丸くなると、欲や "我" が弱まります。
するとますますその人らしさ(独特のクセ、個性)が影をひそめます。
ヒトや世間のことをよく "わかっていて"、穏やかで温厚で、寛容な人格者 になってゆかれます。
「いい年の取りかたをしましたね?~」って人から言われるような。


そしてそうなるともう、数秘の数字が何なのか?とか、何座生まれなのか?とか。
出生時のデータは当てはまらなくなるんです。
いや、数秘でしいて言うとしたら、完全性=理想の、10の状態に近くなります。


ですから、もし生まれた日の命式が良くなくても、その後の努力や生き方でがらりと変えることができるんですよ。
占いは天気予報。
「こういうことがあるかもしれないから、それには気をつけてね?」なんですよね。



誤解されがちなのですが、生まれた日の命式の中にある「良くない」点は、別の言いかたをすれば、「あなたはこの点/クセに気をつけたり改善すれば、悩み事やトラブルに巻き込まれることが減り、満足のいくいい人生を送れますよ」という、注意喚起ポイントに過ぎないんですね。

必ずしも、「あなたは生涯ずっと、この点で悩まされ続け、苦労します」じゃない!んです。



今の感染症対策と一緒で、「何に気をつけていればいればいい?」ということさえわかって気をつけてさえいれば、リスクを避けられるばかりか、暮らしを満喫することもできます。


ですので、出生時の命式の中にある「良くない点」は後から取り除くことができる。
あるいは、その良くない点(試練とか)がきっかけになって、その人の輪廻の目的が達成できたり、真の力を発揮しやすくなる。
結果的に、芋虫が蝶になるよう、のちのち好転していくのです。



運命上の試練というと、「逃れられないもの」、「自分の生涯は不幸なのだ」と思われがちです。
でも決してそうではないです。
またそうした試練は、中身は違えど、みな平等にあります。


とにかく、そうした試練はそもそも、その人が乗り越えられる可能性が十分にあるもの。
私はそう確信しています。
ただし、もちろん、ご本人がそれを自覚して、自発的に改善しよう・乗り越えようと努力は必要です。
それがなければちょうちょにはなれない?かなー?


前置きが長くなってしまってすみません。

ということで、ヨガナンダさんの著書から、ユクテスワ師のレクチャーの要所を抜き書きし、ここに公開メモしておきたいと思います。

あるヨギの自叙伝



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第十六章 運星をかわす



スリ・ユクテスワ師



(若き日のヨガナンダさんが「私は星学など信じません」とおっしゃるのを受けて、ユクテスワ師が語り始めます)



「これは信じるとか信じないといった問題ではない。

どんな事柄に対しても、われわれの取るべき科学的態度は、それが真実であるかどうかということになければいけない。
引力の法則は、ニュートンが発見する以前にも同様に働いていたのだ。
もし法則というものが、人間に信じられなければ働かないとしたら、宇宙の秩序は混乱してしまうだろう。



古代の科学であった星学を、今日のような不名誉な地位に転落させたのは、知ったかぶりのにせ星学者たちだ。

星学は、数学的にも哲学的にも、あまりにも広大な学問であるため、よほど達識の者でなければこれを正確に把握することはできない。
だから生半可な知識の先生たちが星位の正確な意味を読み違え、ゆがんだ解釈しかできなかったとしても、それはこの不完全なの世の中にはありがちなこと。


けれどだからといってそのような先生たちと一緒に真の知恵までも葬り去るのは間違いである。


***


すべての被造物は互いに関連し、影響を与えあっている。
宇宙のリズムのバランスが取れているのは、その相互作用のためだ。


地上に生きてる間、人間は、二種類の力と戦わなければならない。

一つめは 人間の "内部" を構成している、地水風火空の諸要素エーテル、波動・エネルギー)が引き起こす混乱。
もう一つは、 自然現象によって外から受ける崩壊力 である。

人は刻々と死に向かって変化していく肉体に宿って生きている間は、天界と地界から、様々な影響を受け続けなければならない。



星学は、星からの刺激に対する人間の反応を研究する科学である。


星には意識的な善意や悪意があるわけではない。
ただ単純に、陽性または陰性の放射線(波動エネルギー) を放射しているだけである。
これらの放射線自体は、人間を助けたり、あるいは害を与えたりするものではない。
けれど、各人が過去においてまいた行為の種子(因)へと、因果の法則による発芽の機会(縁)を与えるのだ。


赤ん坊は、この天(宇宙)からの放射線と、本人の個人的カルマとが数学的に合致したその日、その時刻に生まれる。


彼の出生図(出生時のホロスコープは、もはや塗り替えることのできない彼の過去と、 それから生ずるであろう未来を予測して見せる、いわば運命の挑戦的肖像画(今生の課題や試練、自ら望んだゴールや目標)だ。


しかしこの誕生日の出生図を真に正しく解釈できるのは、 直感的叡智に長けた、ごくわずかな人だけである。



誕生の瞬間、大空いっぱいに描かれるこの託宣は、決してその人の運命 (過去の所業が原因となってもたらす結果)を強調しているのではない。
むしろ、その束縛から抜け出そうとする、本人の意欲や決意を喚起させるもの なのである。



自分でしたことは自分で元通りに直すことができる。
今現在自分の身の回りに起こっている色々な出来事は、全て自分自身が過去(前世の分も)において蒔いた原因から生じたものだ。

だから、どんな障害でも克服できないものはない。
なぜならその障害は、そもそも自分自身の行為が作り出したものであり、しかも人間は星の力に影響されない霊的資産を持っているからだ。



星学というものをただ迷信的に信じて恐れる者は、運星の奴隷として、その機械的な法則に巻き込まれてしまうことになる。
 
賢者は、その信仰の拠り所を被造物から創造主へと転換することによって 、自分の星、すなわち過去の因縁に打ち勝てる。
人は自己の霊性に目覚めれば目覚めるほど、物質的に支配される度合いが少なくなる。



魂は、もともと永遠に自由なのである。
魂は生まれて出来たものではないから死ぬこともないし、星から支配されることもない。
人間は魂であって、肉体はその一時的な所有物にすぎない。


人は、そうした自己の本性を正しく認識した時、あらゆる現象的法則の束縛から自由になれる。
だが自分の本質霊性を忘れて迷蒙の中をさまよっている間は、環境の法則による霊妙な支配から逃れられない。



神は調和だ。
神に意識を合わせている者は、何をしても決して間違うことはない。
その人の行為は、自然に星学の法則にもかなうことになる。


人は、深い祈りや瞑想によって、自己の内奥に宿る聖なる意識に触れることが出来る。
そしてこの内的守護こそ、何物にもまさる偉大な力なのだ。



旅行者に地図が要らなくなるのは、目的地に着いた時だ。
旅行中は、地図があればいろいろと便利な近道を取ることができる。

いにしえの聖賢たちは人が迷妄の中を放浪する期間を短縮する方法を発見してくれた。
つまり因果法則には、英知の指先によって操作できる巧妙な調整装置が付いているのだ(その一つが占術ということ)



自らが経験するどんな苦であっても、それらは宇宙法則に対して何らかの違反を犯したことから生じている。


人間は神の全能を信じると同時に、自然法則をも満足させなければならない、と聖典は指摘している。
だから人間は苦難に直面した時はいつも、『神よ、私はあなたを信じます。 あなたは私をどんな苦難からも助けてくださることができます。 しかし私もまた、自分の犯した罪を償うために最善を尽くします』としなければならない。


過去(前世)の過ちがもたらす悪い結果は色々な方法によって、 すなわち祈りによって、意思の力によって、ヨガの瞑想によって 、聖者の助けを借りることによって、 または星学の腕輪をはめることによって。
最小限に食い止めたり、あるいはまた全く避けることもできるのだ。


避雷針によって家を落雷の危険から守ることができるように、人間の肉体も、色々な方法によって外的影響から守ることができる。
星学を『予防手段』として実際に用いることは、インド以外ではまだ真剣に研究されていない。




(ここからはヨガナンダ氏の語り)

私はどんな星の力の影響をも、神に対する自分の熱烈な愛によって必ず克服できると確信していた。
 
「人間は自己の本性を深く悟れば悟るほど、自分の霊的波動によって全宇宙に働きかける力が増し、自分自身もまた環境の力の影響を受ける度合いが少なくなる」。
  
この先生の言葉を私はしばしば思い出しては心の励みとした。



私はときおり星学者たちに、占星学的に見た自分の生涯の最悪の時期を尋ね、そんな時でも、『自分がひとたび志した仕事は何でもし遂げてみせよう』 と思っていた。

確かにこのような時期には、成功するのに並々ならぬ困難が伴った。

しかし、あくまでも神の守護を信じ、人間が神から授かった意思の力を正しく用いることこそ天空から注がれる星の力に勝る強大な力である という私の確信は、常に正しかったことが立証された。


私は人間の誕生日の天宮図が、過去によって決められる逃れられない宿命を意味するものではないということを理解するようになった。
この星の託宣は、むしろ人間の慢心を戒める警告の針なのである。


つまり天は、人間に、あらゆる束縛から自己を解放しようとする決意を促しているのである。



神は人間を、それぞれ個性を持った魂として創造された。
だから人間は、現在のかりそめの生涯において、社会的に指導的な役割を果たしていようと、無名の存在であろうと、みな重要な宇宙の構成要素なのである。


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