カバラ数秘術のBlog3

数秘33の数秘術カウンセラーによるブログです。数秘術や宿曜の他、色々書いています。

感謝が煩悩になることもある


こんにちは。

別館ブログ、更新しています。
spiritual358.hatenablog.com




さて、今日は「感謝」について、書いてみたいと思います。


感謝とは、「自分がしてもらった何かに対してありがたがること」。

そして、幸福学の研究で知られる前野先生によれば、「幸福感と感謝は正比例する」とのこと。
感謝が多い人ほど "幸せ" なのだそうです。



が。
だからといって、「なんでもかんでもありがたがる」のは良くないかな?と思います。


たとえば、自分に優しく親切にしてくれた人がいたとします。
ところがその人には、「恩を売って利用してやろう」みたいな下心や悪意があった、かもしれないのですね
(もちろん、みんながみんなではない!ですよ)

そこはきちんと見分けないとですね。




ところで「感謝のしかた」については、個人的には、仏教的な視点から書かれたスマナサーラさんのアドバイスが腑におちました。

こちらの本です。

それならブッダにきいてみよう: 人間関係編




要点を抜き書きしてみます。

感謝についてあまり真剣に考えてしまう と、それ自体が煩悩 になって、自我が強くなってしまう。

「感謝しなければいけない」と気にしだすと、詐欺に引っかかりやすくなる。


例えば新興宗教では「あなたは先祖に感謝してこなかったから不幸になっているのです」などと、感謝してこなかったことへの罪悪感につけこんで、洗脳してきます。



「感謝」は、理性ではなく感情的に受け取らない。
なぜなら、それが煩悩になり、苦しめるから。



仏教的には、感謝は「ほどほどがいい」
なぜなら「感謝」とは、 自分を生かしてくれた人たちにするものだから。


けれど、その感謝の気持ちというのは、突き詰めていくと、存在欲に突き当たる。
その根底には、そうした欲(計算?)が働いている。
それが、原始脳の感情、すなわち煩悩である。
だから、「ありがたがる」のは、ほどほどしたほうがいい。




けれど他方では、恩を知る人は人格者である。


ほとんどの人間は、自我の働きにより、受けた恩を忘れたがる。
もし誰かが間違いを犯せば、そのことは忘れない。
恨みも決して忘れない。
けれど、人から受けた恩は、いとも簡単に忘れてしまう。
が、それはよくあること、普通である。


だから、 恩をちゃんと覚えている人というのは人格者だと言える。
受けた恩を忘れないことは、大切な道徳。
そして、恨みを忘れることもまた、道徳である。




ではどんな場合に感謝をしたらよいのか?

まず、日本社会の感謝の対象を2つに分けるとこうなる。


(1)生きることを助けてくれた場合
(2)自分の人格の向上を手助けしてくれた場合


自分の存在を応援してくれた人、存在欲を無くすことを教えてくれた人。
こうした人たちに感謝の気持ちを抱けば良い。



ただし、(1)の中では堕落や悪行に誘う人たちもいるので気をつけること。


また、(1)の人たちは、 自分が生きている間、全面的に面倒をみてくれるわけではない。
だから、自立して、成長していかなければならない。
それには他人の存在(関わり)、助けが必要になる。
これが(2)の感謝になる。



結局のところ、ヤマアラシのジレンマかな?と。

素直に喜んでありがたがるというのは、その人のこと(無我無欲)であると信じているから。
それに、人のことを悪く疑いたくはないですし、できれば仲良くしてゆきたいとも思ってる。

けれど、心の内は見えない、のですよね。

さてどうしたものか。



***



そこで先ほどのスマナサーラさんのアドバイスが有効かな?と。


つまり、残念ながら受けた恩のほとんどの裏には、その奥に、多少なりともその人の自分への期待があると思うんですね。
あ、「笑顔にしたい、喜んでもらいたい」も含めて、です。
●●したい、は「欲っしている」、なので欲ですから。


というのがこの世の偽らざる真実、現実なのだと認めて(諦念)、その前提で、やりすぎないし足りなさすぎない程度の、ほどほどの感謝をしていったらいいのかな?と思います。


個人的にも、最初から "ほどほど" にしておけば、もし万が一後になって、その相手が「見返り」を求めてきた場合、きちんとNOと断れやすい気がします。


反対に、最初に感情的に喜ぶ、つまり見た目にすごくうれしそうにしたり過剰にありがたがってしまっているところを相手に見せておきながら、後になって相手から見返りを求められた場合、「いや、それは困ります、無理です」って態度を翻すのは、ものすごくバツが悪いですものね。


けれど最初からあっさりしていれば、後でいくらでも、良い方にも、そうでない方にも、反応や態度を変えていくことができます。
(時間がたてば、「この人は信用していい」とか、「いけない」とかわかってきますから、それまでは心理的距離を保ちつつ、結論を保留にしておくということですね)



今のように世情が不安定ですと、どうしても一人は不安で、なので誰かとくっついていたくなるもの。


でもこれだって結局、生存欲や存在欲、ですよね。
ただその場合、表向きは「この人が好きだからそばにいたい」という自覚や理由になっている可能性が。


結局のところ、みんな、一人、なんですよ。特に此の世では。
家族も然りです。
此の世の家族は、地上時代の戦友みたいな間柄なので、死後バラバラに離れてゆくもの。
そして本当の家族は霊界にいます。
心の底から裏表なく信頼できて強いきずなで結ばれている友達や仲間たちは、霊界にいるんです。
そしてあちらからずっと、ハラハラしながら、片時も目を離さず、私たちのことを見守ってくれているんですね。

だから、この世での自分の成長を期待し、帰りを待ってくれているその人たちのためにも、私たちはこの世でちゃんと生き切らないといけません。
悲しませることになったり、あるいはもし自分が堕落した状態で戻ればしばらく会えなくなる可能性もあるので。


ですからもしもこの世で孤独を感じても、それはよその表向きの様子とは違って、実際には(心の内は&霊的には)みんな孤独ですから、そんなに悲観しなくていいんじゃないかな?と私は思っています。



とにもかくにも。
此の世では、学ぶこと、学べることが尽きません(溜息



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